東日本大震災からもうすぐ4年
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視覚的には瓦礫はほとんどなくなってきました。そのため、津波被災を思い起こさせるものは少なくなってきました。もちろん、公的な施設や私的な建物を「震災遺構」として残しているところもあります。たとえば、宮古市田老地区の田老ホテルや大槌町の町役場、陸前高田市の気仙中学校がそれにあたります。
これからどうすべきかを考えているところもあります。宮城県では南三陸町の防災対策庁舎の保存について、県知事が介入して、保存の方向を検討しているとことです。また、多くの犠牲を出した石巻市の大川小学校も、これから決めていきます。
震災後に閉校した学校の記念碑、地域や施設の犠牲者の慰霊碑もありますので、それらを巡るのもよいかもしれません。
ただ、震災の爪痕を感じることはまだできます。海岸沿いに行けば、建物の土台がまだ残っている地域があります。地盤沈下していますが、潮位が高い時には実感できます。
人間関係も変化してきます。震災当初は避難所で暮らしていた人たちが助け合い、コミュニティができました。しかし、仮設住宅に移ると、それまで築いてきたコミュニティがバラバラになっていきます。もちろん、作り直しができればよいのですが、元気で経済的な余裕がある人ほど、自宅再建をし、仮設住宅から出て行きます。
さらにいえば、徐々に復興公営住宅に移ったり、高台移転による自宅再建がなされるようになります。そこでまた仮設住宅でできたコミュニティがもう一度壊され、新たな「まち」ができあがっていきます。地域づくりが今後の課題です。場所によっては、これまでの既存のコミュニティと融合できるかも焦点となります。高齢化率も気になるところです。
被災者自身の努力による地域づくりは基本となりますが、そうした被災地を外側から応援しようとするとどんな考えられるでしょうか。もちろん、被災地に訪れて、見て、食べて、宿泊するという短期的な支援があります。また、被災地を訪れなくても、インターネットなどで被災地の特産品を買うといったこともできます。ふるさと納税で公的な部門への支援もあったりします。
4年経ってもまだ津波被災がわかる場所があるのかというのは驚きですが、逆に言えば、被災地を見てみたいと思う人がいれば、まだ遅くはありません。見に行きたいが、まだできなていない人はぜひ自分の目で見てきて欲しいです。風化が仕方がない面もありますが、思い出す機会があれば、それを大切にしてほしいです。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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