こんにちは、ライターの岡本ハナです。私の長女は、ADHDと強迫性障害を併せ持つ、いわゆる発達障害児ちゃん。
長女が発達障害であることを伝えた際、「女の子でよかったね」といった言葉をしばしば耳にします。そそれを聞くたびに(その言葉の裏にある意図は何なのでしょうか…)と心の中に小さなモヤモヤが出てきてしまいます。
今回は、そんなモヤモヤを抱いたきっかけとなった、とあるママ友とのエピソードを紹介します。
発達障害の娘と「女の子でよかったね」問題
とある昼下がり、仕事(取材)の帰り道で偶然バッタリ会ったのは、古くからの友人でした。彼女は男の子3人のママ。我が家の長女と同じ年齢の子どもがいるという共通点もあって、昔から一緒に遊ぶ機会が多く、気心の知れた仲でした。そんな彼女との偶然の再会にテンションが上がり、私たちはそのまま立ち話を始めました。
話を聞いていると、男の子3人の子育てはすごく大変そう!部活で泥だらけになったユニホームが入り交じった山のような洗濯物、反抗期の口の悪さ。そうかそうかと共感していた私でしたが、彼女が口にしたある一言が、私の心に違和感を残しました。
「女の子だと子育て楽でいいよね」
その瞬間、私の頭の中には、たくさんのハテナが出現。
……私ってラクな子育てしてるの?
「発達障害って言ってたけどさ、女の子だからどうとでもなるし、本当に良かったね」
この言葉にはどこか「男の子で発達障害をもっていたら、もっと大変だった」というニュアンスが込められているように感じられましたが、彼女の話は追い打ちをかけるように続くのです。
「男の子は社会で働かなきゃいけないからさ、やっぱり大変だよ」
「女の子は養ってもらう身だから大丈夫だよ」
彼女にはきっと悪気はない。むしろ、慰めてくれてるというか、なんというか。……でも、このモヤモヤは晴れない!!!
本編では、「女の子でよかったね」という言葉に込められた“無意識の偏見”にモヤモヤした経験についてお届けしました。
▶▶ 発達障害の「女の子だから大丈夫」論って本当?その言葉に覚えた違和感と、私が信じたい子育てのかたち
では、「発達障害と性別の問題」を軸に、母として感じた葛藤と、それでも信じたい子どもの可能性についてお話しします。