
健太さん(仮名・38歳)は、都内の中堅メーカーに勤める会社員です。埼玉県内の分譲マンションに、奥さまの美咲さん(仮名・36歳)と二人で暮らしています。子どもはいません。結婚8年目を迎えた今も、二人の生活は傍から見れば穏やかに続いています。
ただ、その穏やかさの内側で、健太さんはずっと何かを抱えていました。
取材場所は、都内の喫茶店でした。席に着いてコーヒーを一口飲んでから、健太さんは最初にこう言いました。
「僕、妻のことは好きなんです。いまも。たぶん、ずっと。最初にそれだけ言っておきたくて」
先に言っておかなければ、これから話すことがすべて違って聞こえてしまう——そういう意図だったと思います。にもかかわらず、健太さんは “夫婦でオープンリレーションシップを始めた” というのです。
オープンリレーションシップとは、恋愛や親密さを「結婚=排他」と結びつけない関係を、双方の合意によって運用する関係のあり方です。日本ではまだ馴染みの薄い言葉ですが、一言で言えば「配偶者以外との恋愛を、互いの承認のもとで認める」ということです。
「不倫の言い訳に聞こえるのが、いちばん怖いんです」と健太さんは言いました。
結婚制度のあり方に息苦しさを感じながら、それでも誰にも言えずにいる人は、きっと少なくないと思います。健太さんが今回話してくれたのは、その息苦しさを “なかったこと” にせず、奥さまと向き合い続けた記録です。正解の話ではありません。ただ、こういう夫婦がいる、ということを知ってほしいと思いました。
【無子社会を考える #33】
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※写真はイメージです
「妻が嫌いなわけじゃない。でも、結婚の”仕様”が合わない」
二人が出会ったのは20代後半、共通の友人を介した飲み会だったといいます。付き合って3年後に結婚。周囲からは「ゆっくりだけど、ちゃんとしてるね」と言われていたそうです。
「美咲は、好きな人には全力で向き合う人なんです。僕もそこに惹かれた。だから余計に、言えなかった」
結婚制度に違和感が芽生えたのは、結婚から5年目あたりのことだと健太さんは言います。「子どもをどうするか」という問いが、夫婦のあいだに浮かび始めた頃のことです。将来を具体的に考えようとしたとき、健太さんの中に、ずっと見ないようにしていたものが浮かび上がってきました。
ーーー“結婚制度が合わない” って、かなり強い言葉ですよね。最初はどんな感覚でしたか?
「言葉にできないんですよ、最初は。ただ、ずっと “息が詰まる” 感じがあって。愛してるのに、どこかで “契約に縛られてる感” が消えない。自分が不誠実だから?って責めたりもしました。でも責めても消えないから、今度は責めてる自分が怖くなってきて」
健太さんが感じていたのは、”排他性” という前提の重さでした。「この人以外を好きになってはいけない」という暗黙の縛りが、少しずつ呼吸の幅を狭めていきました。ただ、健太さんの語り口に軽さはまったくありません。浮気願望を軽く話すような雰囲気とは真逆で、真面目で、慎重で、言葉を選ぶのに時間をかける人でした。
「妻に不満があるわけじゃないんです。むしろ尊敬してる。一緒にいて楽だし、ちゃんと笑えるし、話もできる。でも、人生を長距離で考えたときに……恋愛感情やときめきまで “一人に固定する” のが、僕にはどうしても無理なんじゃないかって。”無理かも” じゃなくて、”無理” に近い感覚でした」
ーーーそれに気づいた瞬間って、何かきっかけがありましたか?
「……職場で、好意を持った人がいたんです。別に何かが起きたわけじゃないですよ。連絡先を交換したわけでも、二人で会ったわけでもない。ただ、その人と話すだけで、久しぶりに自分が “生き物” になった感じがしたんです。生きてる、って感じた。そのとき、怖くなったんですよ。『これ、結婚を続けるほど、僕は嘘をつく人間になる』って」
健太さんはその表現を使ったあと、「うまく言えないんですけどね」と付け加えました。何かをしたかったわけではない。ただ、感じた。その感覚が、健太さんに「このままではいられない」という予感を植えつけました。
「僕、ずっと “良い夫” をやろうとしてたんです。飲み会も早く切り上げて帰る、家事をする、妻の話をちゃんと聞く。それ自体は嫌じゃないし、大事だと思ってます。でも、ある日ふと思ったんです。『これを一生やって、恋愛の部分は全部封印して生きるの?』って。そう思ったら、身体が冷たくなって」
ーーー“封印して生きる”って、具体的にはどういうことですか?
「たとえば、誰かのことが少し気になっても、すぐに自分で蓋をするんです。気づかなかったことにする。考えないようにする。それを何年も繰り返してきた。でも、蓋って重ねるほど重くなるじゃないですか。気づいたらもう、自分で持てないくらいになってたんだと思います」
“妻が嫌い” ではない。”家庭が嫌い” でもない。ただ、”結婚=排他” という設計が自分に合わない——その感覚が、少しずつ健太さんを追い詰めていきました。
▶ついに夫が禁断の告白。妻に打ち明けた夜、反応は…
禁句を口にした夜。「それ、私が足りないってこと?」
オープンリレーションシップに辿り着くまで、最も険しい峠はここにあります。「どう切り出すか」ではなく、「切り出した瞬間に何が壊れるか」を引き受ける覚悟の問題です。
「正直、言うか迷いました。墓まで持っていけば、波風は立たない。でも、そうする代わりに、僕の中で何かが腐っていく気がしたんです。それが怖かった」
ーーー奥さまに言ったのは、どんな夜でしたか?
「普通の夜でしたよ。ご飯を食べて、テレビをつけて、他愛ない話をして……そのあと、ふと。”普通の夜” を選んで言ったんです。記念日に言ったら、その日がずっと汚れる気がして」
その夜、健太さんは奥さまにこう言いました。「今のままだと、僕はいずれ嘘をつく人間になる。嘘をつかないために、二人で考えてほしい」と。”オープンにしたい” という言葉はまだ使いませんでした。まず “自分が感じている限界” を伝えることを選んだのです。
「言えないですよ、いきなりそんな言葉。そこから入ったら、ただの身勝手だし。最初は、もっと手前の話をしました。”結婚の前提がしんどい” って」
健太さんは、そのときの奥さまの表情をいまも鮮明に覚えているといいます。怒りより先に、凍りつくものがありました。
「最初に返ってきたのは、『それって、私が足りないってこと?』でした。静かな声で。僕は『違う』って言ったけど、伝わらないんですよ。伝わるわけがない。だって、僕の言葉は、聞きようによっては “お前じゃ満足できない” 以外の何でもないから」
ーーーその夜、どうなったんですか?
「泣きました。妻が。僕も。妻は『じゃあ離婚しよう』って言って。僕は『離婚はしたくない』って言って。……最悪ですよね。自分の “望み” だけ主張してるみたいで」
健太さんが “良い夫” であろうとしてきた人間性が、いちばん自分勝手に見える瞬間でした。
「妻はしばらく僕を避けました。必要最低限の会話だけ。同じ家にいるのに、空気が薄い感じがする。返事は返ってくるんですよ。でも、声に体温がない。あの感じは、怒られるより辛かったです」
ーーーその期間、健太さん自身はどんな気持ちでいたんですか?
「後悔と、でも言ってよかったという気持ちが、毎日交互に来る感じでした。謝りたい、でも何を謝ればいいのか分からない。気持ちを撤回したいわけじゃないから、謝れないんですよ。ただ、傷つけたことは本当に申し訳なくて。その罪悪感だけは、ずっとありました」
ーーー“話し合い”になったのは、いつ頃からですか?
「1か月くらい経ってからです。妻が『もう一回、ちゃんと聞く』って言ってくれて。でも条件がありました。『私が納得するまで、あなたは勝手に何もしない』って。それは当然だと思いました」
同じ家で、同じご飯を食べて、同じ布団で眠りながら、互いに距離を置いた1か月。その時間の中で健太さんは初めて、「許可を取って自由になりたい」のではなく、「合意を作る」ことの重さに気づきました。合意とは、相手の恐怖と屈辱と怒りと悲しみを、まるごと受け取ることです。
「妻は何度も言いました。『あなたは”制度が合わない”って言うけど、私にとって結婚は人生の土台だった。その土台を揺らされたら、私は立っていられない』って。……その言葉が刺さって、僕は何も言えなくなりました。反論できないんじゃなくて、返す言葉がなかった」
“自由”じゃなく”運用”だった。二人で作ったルールの話
話し合いは、一晩では終わりませんでした。二人はノートを広げ、言葉を積み上げていったといいます。感情が先走りそうになるたびに、一度手を止めて書きました。書くことで、感情と論点を分けました。
「最初に妻が確認したのはここでした。『あなたは何が欲しいの?』って。”性” なのか、”恋愛” なのか、”承認” なのか。僕も自分で分かってなかったから、そこで詰まってしまって」
ーーーそこで、どう整理したんですか?
「僕はこう言いました。”ときめき” が欲しい。でもそれは “家庭を壊したい” とは違う。家は守りたい。生活は続けたい。妻とは人生を歩きたい。そのうえで、恋愛の部分だけは……一人に固定できない、って。言葉にすると残酷ですよね。でも、そこで曖昧にしたら、妻は余計に不安になると思ったんです」
オープンリレーションシップは「何でもアリ」と誤解されることがあります。しかし健太さんたちが実際にやったのは、まったく逆のことでした。”どこまでなら二人が壊れないか” を、細かく決めていく作業です。
「妻が言ったんです。『もしやるなら、あなたの “自由” じゃなくて、私たちの “運用” にして』って。その言葉で、僕は目が覚めました」
健太さんたちが合意したルールは、おおよそ以下のようなものです(夫婦によって当然異なります。ここで示すのはあくまで一例です)。
まずは “試行期間” を設ける(いきなり恒久化しない)/家庭の時間(休日・記念日・仕事が辛い時期など)を最優先にする/嘘は最も強い禁止事項(隠すくらいなら止める)/体調や安全に関わることは必ず共有する(検査や予防なども含む)/相手が限界を感じたら、いつでも一時停止できる(停止権は対等)/感情が動いたときは、必ず夫婦で話す(”知らないまま” を作らない)
ーーールールを決めるとき、一番もめたのはどのあたりですか?
「”どこまで話すか” ですね。妻は最初、”何も知りたくない” と言ってたんです。知ることで傷つくなら、知らないほうがいいって。でも僕は、知らないままにすることが一番怖かった。隠し事のある関係にしたくなかったから。そこはかなり時間をかけて話しました。最終的に、妻が『知らないでいるほうが、想像で余計しんどくなる』って言ってくれて、少し共有する方向に動いたんです。
ルールのあるのは正直、息苦しいです。でも、息苦しさは必要でした。”勝手にやらない” ための枠だから。妻が安心できる枠がないと、そもそも成立しないんです。僕にとっても “歯止め” になるし」
ーーー奥さまのほうから、”ここは譲れない”と出てきた条件はありましたか?
「”私が置いていかれる感覚” を作らないこと、でした。だから、妻の希望で “夫婦の時間” を増やしたんです。週に一回は、スマホを置いてご飯を食べる。月に一回は、二人で外に出る。皮肉ですよね。排他性を緩める代わりに、夫婦の時間は濃くなった」
一見するとオープンは夫婦の絆を薄めるように見えます。しかし少なくともこの夫婦では、話し合いの密度が上がり、ともに過ごす時間がむしろ増えました。
「僕は “言わなくても分かる” を捨てました。妻も “我慢すれば保てる” を捨てた。代わりに、全部言語化する。面倒です。疲れます。でも、面倒をサボってたから、こうなったんだと思いました。実際のところ、ルールを守れてない日もあります。感情が動いたとき、すぐに話せないこともある。でも、”話さなかった”という事実は必ず後から話す、というのは続けてます。タイムラグはあっても、”知らないまま”は作らないって決めたので。それだけは崩したくない」
続きの関連記事『一夫一婦制が息苦しい…夫が提案した「妻以外との恋愛もOK」な結婚生活と、妻の苦悩とは?』では、話し合いの末にオープンリレーションシップを始めた健太さん夫婦のその後をお伝えします。妻の嫉妬は消えず「正しくやっても、心が追いつかない日がある」という夫婦の暮らしに迫ります。



