
身近な人が悲しんでいるとき、「何かしてあげたい」「少しでも力になりたい」と思うのは自然なことです。でも、良かれと思ってかけた言葉やアドバイスが、かえって相手を追い詰めてしまうのでは、と迷ったことはありませんか。寄り添うつもりが、知らないうちに踏み込みすぎてしまうこともあります。
こうした人間関係の難しさについて、精神科医・公認心理師として多くの相談に向き合ってきた藤野智哉氏は、「話を聞くタイミング」と「距離感」がとても重要だと指摘しています。
本記事では、藤野氏の著書から、悲しんでいる人を支えたいときに気をつけたい関わり方と、過介入を避けるための考え方を紹介します。
※本記事は書籍『嫌な気持ちにメンタルをやられない 不機嫌を飼いならそう』(藤野智哉:著/主婦の友社)から一部抜粋・編集したものです
頼まれてもいないのにアドバイスするのは過介入になりかねません
悲しみの中にいる人を支えたいと思うなら、本人のタイミングに任せて「いつでも聞くよ」と伝えることが大事。
友人や同僚など、周囲の人が悲しんでいるとき、どんなふうに寄り添うべきか?
年齢を重ねると、一度は直面したことのある悩みかもしれません。悲しみの中にいる人の話を聞いてあげることは、本人が望んでいるのであればやってあげるといいと思います。
ただし、悲しみなどの感情の開示で、人に話すことでよくなることもある一方、短期的には悪化することもけっこうあります。無理やり聞き出しても、相手がラクになるとは限らない。要は、本人のタイミングで話すのが大事だということです。
大規模な災害や事故の発生後、すぐに被災者・被害者から考えや情緒的反応を聞き出す「心理的デブリーフィング」。以前はこれが推奨されていましたが、有効性はないことがわかり、今は無理強いをしない形の「サイコロジカルファーストエイド」が求められるようになりました。
それと同じで、話を聞くには適切なタイミングがあるということです。第三者にできるのは、本人が話したくなったときに話を聞いてあげられる場所にいること。物理的位置においても、心理的距離においても、です。
相手が望まないうちは踏み込まず、「あなたが話したくなったら私はいつでも聞くよ」という姿勢を示しておくことが大切だと思います。
困難に直面した際に心が折れずに適応する力を指す「レジリエンス」(=復元力)という言葉がありますが、安心感を与えてくれる場所や人はレジリエンスをうまく機能させるために重要な資源だといわれています。
特に家族は共同体としてストレスを除去してくれる存在になりうるので、そういう人がいるということ自体が心の支えになります。
家族でないならば、悲しみを抱えている人に対しては、誘い出したりプレゼントをしたりと介入的なことをするより、いつでも話を聞いてあげられる場所にいて、本人が希望するときに相談に乗ってあげることが重要です。
自分にできることは「あなたが困ったら助けてあげたいと私は思っているし、心配しているよ」という事実だけを伝えること。あとは相手の考え方次第です。
そして、お互いにつながっておくことは悲しみのためだけではありません。悲しんでいる相手を心配する側は、「ゲートキーパー=命の門番」という役割もなしえます。
ゲートキーパーとは、つらいと感じ悩んでいる人が一線を越えてしまわないように命の門番になる人のことです。
特別な資格をもっていなくても、誰でもゲートキーパーとなってできることがあります。特別な治療をするということではなく、そっとそばにいて、悩みに気づき、声をかけ、話を聞き、必要な支援につなげる。
何かをしてあげよう、治してあげようということではなく、支えになって、一緒に病院を探したり、一緒に考えたりという形で存在するだけ。「私が悲しみを改善してあげよう」とか、そんなふうに思いすぎないこともとても大切です。
人の感情を何とかしてあげようというのは過介入。自分を過信しすぎです。餅は餅屋に。専門家につなげることが大切です。
たとえば、子どもが深い悲しみの中にいたり、抑うつをきたしていたりするなら、親としては何とかしてあげたいと思うでしょう。でも、子どもが感じている悲しみ自体を親がスパッと消してあげることはなかなかできません。
子どもが自ら話したいと思ったときに聞いてあげられる位置にいることを示し、寄り添う。必要なようであれば環境の調整を手伝う、医療機関につなげる、そういうことが大事で、子どもの気分をスパッと改善する裏技みたいなものは実はないんです。親にできるのは日々、関係性を築いていくことだけです。
自分が悲しみを抱えている立場の場合、周囲からの過介入や余計なお世話にイライラすることもあるかもしれません。相手は悪意なく言っているのでしょうが、勝手にアドバイスしてきたり、「私のときはこうだった」と経験談を語ったり。正直、「嫌だな」と思っちゃいますよね。
でも態度に出せば新たなトラブルが生まれてしまう可能性もある……そういうときは、まず相手から距離をとるのが一つの手です。しんどいときに新しいストレス要因とあえて関わる必要はありません。離れられない相手の場合は心の距離をとる、という考えも大切です。どんなアドバイスをされるかは選べなくても、どんなアドバイスを採用するかは自分で選べますからね。
人間は言語化することで思考が整理されるからそうしているわけですが、自分のことばかり話す人は相手の言語化を邪魔して役に立っていないわけです。 何より、そもそもアドバイスをしてほしいというわけではない。ただただ共感してほしいときに相手が勝手にアドバイザーになってしまう場合、需要と供給が一致していないことになります。
そして、されたアドバイスが役に立つとは限りません。その人から見えている世界と自分が見ている世界は違うし、その人の経験したことと自分の経験は違うからです。
子育て論でも「うちの子はこうだった」みたいなことを言う人がいますが、その人の子どもと自分の子どもは違います。だから結局、聞いても役に立つとは限らないということを知っておくと、無視してもかまわない言い訳にもなります。
繰り返しになりますが、どんなアドバイスをされるかは選べなくても、どんなアドバイスを採用するかは自分で選んでいいのです。
勝手にアドバイスをしてきがちな人は、自分はいいことをしてあげたと思っています。そういう人は「べき思考」が強く、「普通」「当たり前」「こうあるべき」と、狭い世界ばかり見ているので、自分がアドバイスをした後、相手がどうなるか見えていませんし、責任はとってくれません。
善意から来るアドバイスであってもそれがあなたにとっていい結果をもたらすかは話が別なのです。たとえ善意であっても、「べき」の押しつけは境界侵犯になることがあるということです。
余計なお世話に「嫌だな」と思ったら、相手と距離をとって。
受け止めるかはあなたが決めていいのです。
ここまでの記事では、「悲しむ人を支えたいときに気をつけたい関わり方」について紹介しました。つづく関連記事では、「他人の怒りとの付き合い方」をお届けします。
つづき>>「あの人、発達障害の“グレーゾーン”かもよ」。気軽に口にしていませんか?
■藤野智哉(フジノ・トモヤ)
1991年生まれ。精神科医、公認心理師。秋田大学医学部卒。幼少期に川崎病に罹患。心臓に冠動脈瘤という障害が残り、現在も治療を続ける。障害とともに生き、精神科勤務と医療刑務所の医師を務めるかたわら、執筆にも精力的に取り組む。専門知識を優しく語り、つらいひとに寄り添う内容で、幅広い世代から共感と支持を集めている。『「誰かのため」に生きすぎない』『「そのままの自分」を生きてみる』がシリーズ累計7万部を突破し話題に。ほかに『精神科医が教える 子どもの折れない心の育て方』『「あなたの居場所」はここにある 精神科医が本気で書いた心をいやす物語』など、著書多数。



